イエスと対話する

あなたのすぐ前にイエスが腰かけておられ、彼をながめていると想像してください。こうすることによって、想像を信仰に役立てるのです。イエスは、あなたが今想像しているようには、ここにおられるわけはないのですが、でも彼はたしかにここに現存しておられるので、想像を働かせることは、この事実を意識するのに助けとなります。 イエスに語りかけてください・・・・まわりにだれもいないなら、声に出して話しかけましょう・・・・。イエスが答えて何と言われるか聞きます・・・・彼が何と言われるであろうかと想像します・・・・。考えることと祈ることとのあいだの違いは、まさにこれである。考えるとき、私たちは自分に向かって語りかけている。だが祈るとき、神に向かって語るのである。(アントニー・デ・メロ、「東洋の瞑想とキリスト者の祈り」 p.119)

聖イグナチオは、この会話を「真の対話」("colloquy")と呼びました。彼はこのように書いています。「厳密に言って対話は、友が友に、または下僕が主人に語りかけるようにして、時に恵みを願ったり、犯した悪事について自らを責めたり、心を打ち明けて相談したりすることである。・・・対話においては、その霊操の内容に応じて話をし、恵みを願わなければならない。たとえば、誘惑か慰めを感じるところに従い、獲得したい善徳、あるいは心を傾けたいあれこれの方向に従って、また、観想の内容につき苦みか喜びを感じたいところに応じて、対話の次第を決めるべきである。最後に、具体的なことがらについて是非とも望んでいるものを願う。(『霊操』 54、199)

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