トップページ おしらせ ライブ配信2021年4月の説教

2021年5月 ミサ説教


2021年4月


復活節第5主日

ハビエル・ガラルダ神父

5/2(日)10:00- 復活節第5主日(手話・一部字幕付き)


 キリストにつながって実を結ぶということについて考えましょう。実を結ぶということは何だと思いますか。わかったようなわからなかったような表現ですね。イエスさまがよく使う表現ですけれども、イマイチわかりにくいです。何だと思いますか。考えてみてください。実を結ぶこと。これはテレビのゲームではないんですね。ですから当たったらドッパーとやってみんなワーワーと、そういうことではないんです。でもちょっと考えてみてください。実を結ぶということは何でしょうか。ヒントとして、イエスさまが中心的に繰り返す表現です。ちょっとだけ思い出しますけれども、たとえば種を蒔く人が種蒔きに出かけて、ある種は道端に落ちて実を結ばなかった。ほかの種は石だらけのところに落ちて根がなくて実を結ばなかった。ほかの種は茨の多いところに入って実を結ばなかった。ほかの種は良い土地に入って実を結ぶようになった。実を結ぶ、何でしょうか。 もう1つの例ですけれども、イエスさまが自分自身について話す言葉ですが、一粒の麦が地に落ちて死ねば実を結ぶようになる、ということはイエスさまにとってはすごく大切な表現です。大切なことです。

 では根本的なことですので、聖書の根本とキリストの死の根本を探ってみればわかるようになると思います。聖書の根本は何ですか。イエス・キリストの言葉から言えば、そしてみんなの言葉から言えば、根本は「聞きなさいイスラエル、心を尽くして神を愛しなさい。そして隣人を愛しなさい。」愛するということは根本ですね。そしてキリストの教えは1つです。愛し合いなさい、これがわたしの掟である。ということはイエス・キリストにとって根本なことは愛するということです。ですから実を結ぶということは、愛することに決まってるでしょう。ところがもっと厳密に考えてみれば、愛することよりも愛の結果は実だと思います。このことがありますね。純粋な愛が求めるのは、わたしが人を助けることよりも、人が助かることです。わたしが助けるということは自己中心、主語は「わたし」ですね。助かることを求めるんだったら、助かるは他人中心です。ですから実を結ぶということは愛の行いが感じさせる喜び、純粋な喜び、心が望む喜び、心を満たす喜び。純粋な愛の行いが感じさせる純粋な喜びは実ですね。その喜びは実です。


 少しだけ思い出しましょう。先ほど言い忘れたことがあります。今、言います。先ほど言ったのは愛することは実を結ぶことですね。マタイ25章を思い出しましょう。最後の審判。わたしが飢えていた時に食べさせ、のどが渇いていた時に飲ませ、家がなかった時に宿を貸し、寒かった時に服を着せ、病気の時に見舞い、牢にいた時に訪ねてくれたからである。これですね。これは実を結ぶ。ところが先ほど言ったように、愛することよりも愛の結果は実です。たとえば、また思い出しましょう。ルカの7章に書いてあることですけれども、ヨハネ預言者は逮捕されてた、牢屋に閉じ込められていたんです。そして疑い始めたんですね。このイエスは本当のメシアであるかどうか。どうかなと思って弟子たちを送って聞いてみてください、本当にあなたがメシアですか、それとも他の人を待たなければならないんですか。弟子たちはそれを聞いたんですね。イエスさまの答えはこうです。見てごらんなさい。あなた方が見てること聞いてることをヨハネに答えて、それがわたしの身分証明書です。わたしのメシアとしての身分証明書です。何を見ているかというと、目の見えない人が見えるようになる。ここですよ。わたしが目の見えない人を目が見えるようにするではなくて、わたしがするのではなくて、目の見えない人が見えるようになる。他人中心ですね。足の不自由な人が歩けるようになる。重い皮膚病を患ってる人は清くなる。耳の聞こえない人が聞こえるようになる。貧しい人々に福音が宣べ伝えられている。全部わたしが助けるよりも人が助かることが本当の愛ですね。ですから実を結ぶということは愛の行いが感じさせる深い喜びです。わたしたちはすでにたくさんの実を結んでいますよ。たとえば普通のお母さんは家族のためにおいしいご飯を作ったりする、それはみんなの喜びを思って、それも実を結ぶことです。あるいはまた犬を散歩に連れていくということも犬の喜びでしょう。それも実を結ぶ。植木に水をあげるということも植木の喜びでしょう。それも実を結ぶことになる。


 ところが、後半に入りましょう。キリストにつながって実を結ぶんです。ということは何でしょうか。枝と木はつながっています。つまりわたしたちは洗礼によってご聖体の拝領と秘跡によってキリストに特別につながっています。けれどもここに書いてある通り、つながっている枝の中にはつながっていながら実を結ばない枝もあります。これは問題ですね。わたしたちはつながっていますよ、イエス・キリストに。でも実を結ばないかもしれません。どうやってつながって、どういう意味でつながっていれば実を結ぶことができるかというと、まずキリストの掟を、つまり愛し合いなさいという掟を心に受け入れ行いで実現する。それからつながっているためにはキリストと共に生きることが大事ですね。キリストとよく話し合っていい友達になること。仲良くなること。キリストを最高の友達にする。これは本当につながることになります。そしてキリストのいのちに生かされる。それはそうですね。枝が木につながっていれば木の液体によって生かされるんじゃないんですか。わたしたちもキリストによって、キリストのいのちによって生かされる。


 最後にわたしたちがキリストに従って生きるということよりも、聖パウロが言うように、わたしが生きるのではなく、キリストがわたしに生きる、これですね。キリストがわたしに生きる。なぜわたしはこの人にしてあげたんですか。それはキリストがそうしたかったからです。わたしがキリストに従うということよりも、キリストがリーダーシップをとってわたしを連れていく。キリストが生きる。これがキリストにつながっていることです。ですからキリストにつながって感謝しながら実を結ぶことができるように願い求めましょう。



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聖ヨセフの記念ミサ

英 隆一朗 神父

5/1(土)12:00- 聖ヨセフの記念ミサ(一部字幕付き)


 ヨセフのミサをするにあたり、本当は少しでも信者の皆さんと一緒にこのミサをささげられたらいいと思ったんですが、緊急事態宣言の中でちょっと厳しい状況になってしまったので、非公開ミサということで役員の人や関係者の方ごく少しだけのですね、聖堂ではそういう形でミサをささげることになりました。多くの方はYouTubeを通して参加されていることだろうと思います。ヨセフのことを考えるとこのような形の中でミサを行うということも、何かどこかふさわしいような気もします。


 ヨセフはご存じの通り、今朗読した婚約の時の混乱もありますが、結局イエスさまを生む時、あるいは生まれた後のエジプトへの避難というかですね、様々な苦難の中にヨセフはおられたわけで、苦難の中にあるわたしたちが苦難を乗り越えながら歩まれたヨセフのミサをこうやって祝うことは非常にふさわしいような気持ちもします。

 今朗読したところは婚約当時の、自分と関係なしにマリアが妊娠したという非常にスキャンダラスというか、ヨセフにとっても衝撃的なトラブルから始まるわけですね。その中でヨセフは「正しい人であった」とあるんですが、本当のところ神のみ旨を探し求めるような、そういう誠実なタイプだったと思います。自分でよくよく考えて、やはりですね、マリアが妊娠している以上自分と結婚するのはよくないと、ここはひそかに別れるのがいいというふうに、彼なりに一番よかろうと思う答えを自分なりに出したんですけど、神の考えはそれをさらに超えていて、天使が夢で現れて、この子こそ特別な存在なのでマリアを迎え入れるようにという、思いもよらない導きというか道をヨセフに示し、ヨセフはそれを選んでいったわけですね。


 このヨセフと神の働きの関係というのは何かわたしたちに大きなヒントを与えてくれているような気がします。わたしたちも様々な困難や、今は特にコロナのことに直面しなければならない時、もちろん人間的に考えてわたしたちはどうするべきかということを考えて、これがいいんじゃないかというふうに、そういうことも必要ですが、それをさらに超えて神さまの働きがあって、そこにわたしたちがどう心を開いていけるかどうかということがわたしたち一人ひとりにも問われているような気がします。

 眠っている間に夢の中で知らされるということですが、夢の中とも言えるし、ヨセフの潜在意識の深いところに神が働きかけてると言えるでしょう。それはヨセフが深い深い祈りの人で、神との交わりを深めて、あるいは神のみ旨を真摯に求めていたからこそ、このように神さまが特別な方法で道を示してくださったということだと思うんですね。
 誕生のところでも、身重のマリアを旅に連れて行かざるを得なくなって、ベツレヘム、しかも馬小屋でお産をしなければならない、そういうトラブルもあって、しかも生まれて良かったねと思ったらすぐエジプトに逃げなさいという。ヨセフが神さまに本当に心を開いていたからこそ、すぐにエジプトに逃げることもできたわけだし、そしてエジプトから戻るときもやはり同じように神さまから示されて戻っている。 さまざまな困難やトラブルがあるけれども、でも肝心なところで神さまはちゃんと導いておられて、その導きをヨセフがしっかり聞いてそれに従うことができているという、本当に困難なことにあるわたしたちが参考にすべき姿じゃないかというふうに思います。


 ヨセフさまは労働者の保護者でもあるし、教会の保護者でもあるし、家庭の守護者でもあるわけですけれども、職場においても家庭においても、あるいは教会においてもやっぱり思わぬ困難がわたしたちに突然降りかかってくることは、いつもじゃないけど時々かしばしば、今コロナの中でしょっちゅう襲ってくるわけですよね。その中でこそ、このヨセフの態度、困難がきた時に冷静に考えながらどうしようかということを考えるとともに、神の導きが何なのかということを願っていくならば、主がちゃんと示してくださってわたしたちは困難を避けたり乗り越えたり、困難を超えた神さまの導きに従っていけるんじゃないかと思いますね。このヨセフの態度にわたしたちは心からわたしたちの模範として倣っていきたいという気がします。


 わたしの知り合いの男性のひとりが仕事か何かで行き詰って、どうすればいいかわからなくなってしまった。そしてヨセフさまみたいに夢を見てですね、山登りをしている。山登りで崖っぷちをトレッキングみたいな感じで。でも夢の中で崖の途中で上にも登れないし下にも降りられない。上にも下にも行けなくて山の壁というか岩肌に張り付いてどうしていいかわからなくなって、神さま助けてくださいと言ったらですね、ふと横を見たら登山者の姿をした男の人がいて、こっちにどうぞと言ったら横に山道があって、そこを歩いて行けたと。男の人は多分ヨセフさまだろうというんですけれども、夢がきっかけで仕事で全く行き詰っていたのがある方向性が見えて、つまり想像もしていなかったある解決方法が現れて、それで危機を乗り切ることができたと言ってました。その人の霊名がヨセフだったかどうか聞き損ねましたが。
 わたしたちももちろん最初から奇跡的なことを願うというよりは、当然わたしたちは力を尽くして、考えにおいても行動においても。でもそれを超えた神の導きを主が示してくださる。そしてヨセフがそのような守りと導きを与えてくださるという、その信頼のもとにいきたいと思います。


 今、緊急事態宣言でいつ明けるのか、これが明けてもどうなるのか、この2021年もどうなるのかですね。皆さんのお仕事もそうでしょうけど、教会の行事にしても1か月先にどうすればいいかすらちゃんと決められない。ちょっとすごく流動的な日々ですけど。だからこそ、こういう時だからこそ誠実なヨセフにとりなしの祈りを願いながら、先までなかなか見通しができないけれども、今あるものを受け止めながら歩んでいく道を一歩一歩示していただきながら歩んでいけるように、わたしたちの職場においても、教会においても家庭においても、皆さん一人ひとりの人生においてもそのような歩みを、このコロナの困難の中で続けられるように、ヨセフのとりなしを願いながら心を合わせて祈りをささげたいと思います。



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