2024年8月 ミサ説教
8/11(日)10:00- 年間第19主日 サトルニノ・オチョア 神父
8/25(日)10:00- 年間第21主日 関根 悦雄 神父
年間第21主日
関根 悦雄 神父
8/25(日)10:00- 年間第21主日
今日のヨハネの福音は6章の最後の部分です。今まで4回にわたって、6章の初めからずっと読まれてきました。イエスが天から降ってきたパンである。今日のところで、そういう話を受けて弟子たちはどうしたか、これについて語っているわけです。まず、弟子たちの多くの者は反対者じゃないんです。イエスの弟子であると思っていた人たちです。そういう人たちがイエスの話を聞いて「実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか」、このようにつぶやいた。確かにイエスの話はわかりやすいとは言えませんね。しかし、私たち一人ひとりもこのイエスの福音を聞いて、これは本当に私にとって福音ですか。イエスは命のパンです。私たちの命を養うための食べ物です。このように言いました。そして先週の福音では、イエスがこの聖体の中に自分の命を与えてくださる。そしてそれを私たちがいただけるということについても話を聞いたことだと思います。
じゃあ、私たち、その聖体を、イエスをいただいて、イエスの命をいただいて生きていますか。これが問われるわけです。私たちはもちろん人間としてこの社会で生きています。この社会のいろんなルールもあるでしょう。いろんな仕組みもあります。そこで年がら年中、朝から晩までキリスト者として生きること、それはどういうことなのか。私たちは確かに会社で働いたり、お店で働いたり、この社会の中で生きているんです。だけれども、私たちは他の人と何か違うはずでしょう。それはイエスをいただいて、イエスの命を生きているから。多くの人はそれが理解できないで教会にも来ないし、イエスの言葉に耳を傾けようともしないかもしれない。しかし、私たちは縁があってイエスのことを知って、イエスに従って生きようと決心し、洗礼も受け、そして今生きているわけです。永遠の命を得るとか、それはどういうことなのか、よく理解して生きなければならないんじゃないかと思います。
今日のこのパンフレットの解説のところにも、霊と肉についてこのように書いてあります。「聖書の中で『霊』と『肉』が対比されるとき、『霊』は人の内に働く神の力、神との交わりそのものを表し、霊こそが命の原理である。一方の『肉』は神から切り離され、滅びゆくものとしての人間の状態を表す」とあります。私たちの内で働く神の力、神との交わりそのものをしっかり受け止めていますか。捉えていますか。そしてそれを生きていますか。これが問われているんじゃないかと思いますね。そしてイエスの弟子たちは多くが離れ去ってしまった。しかし十二使徒、これが教会の礎になっていくわけですけれども、彼らは果たしてどこまで理解したかわかりません。しかし、イエスという人物、神であり、父のもとから来られたイエス。この方に、やはり裏切ることができない、何とかついていこうとして、それが教会になってきました。ペトロが代表して、「あなたは永遠の命の言葉を持っておられます」と言いました。私たちも同じ信仰を持っています。これを今日はみんなでしっかり受け止めたいと思うんです。神とのつながり、これをしっかり持って生きる。そのために私たちはもちろん限られているかもしれない。しかし、私たちを通してキリストが救い主であるということを表し、見せていかなければならないんじゃないかと思います。
そのためには何をしたらいいでしょうか。私は家庭において非常に大事なんじゃないかと思うんです。今日、第二朗読でエフェソの教会への手紙が読まれました。ここでは夫婦について「互いに仕え合いなさい」と言うんです。「妻たちよ、自分の夫に仕えなさい。教会がキリストに仕えるように、妻もすべての面で夫に仕えるべきです」。そして「夫たちよ、キリストが教会を愛し、教会のために御自分をお与えになったように、妻を愛しなさい」。仕えるということと愛するということは同じことではないでしょうか。愛というのは単なる概念ではないでしょう。自分にあるものを相手に渡す、与える。これが愛の基本だと思います。仕えるためにそれが必要でしょう。まずは家庭の中で、夫婦で愛の交換をする。そして子どもたちにも愛を十分に与える。そうすると愛する者になっていって、今度はまた自分ができることを、自分自身を与えていくことができるようになるのではないかなと思うんです。
残念ながら現代社会、日本のような社会では、この家庭でも十分に愛のやりとりができにくくなってしまっているかもしれません。でも、これは本当はまずいんですよね。何よりもまず子どもたちには愛を十分に注いで、愛する者になっていくことができるように、夫婦の間でも、また家族のメンバーの間でこの愛の交換を十分にしていく。そしてこれは家庭内にとどまるものではないと思います。私たちの周りの社会、そこで本当に愛が必要な人はいませんか。それに対して私たちが具体的にできることはありませんか。そしてできる限りそれをやっていく。これまた私たちの地域社会にとどまるものではないと思います。日本全体あるいは世界の中で、そういう今必要なところは、必要なことは何でしょうか。それを見て自分にできることを惜しみなく与えていく。これが私たちに求められていることではないかと思います。
私たちの使命はキリストを証ししていくこと。キリストは自分自身のすべてを私たちのために与えてくださった。そして今も与え続けて、私たちを生かし続けてくださっている。それを受けて私たちも互いに愛し合い、生かし合っていくことができるように、そういう恵みを今日はご一緒に願いたいと思います。
年間第20主日
柴田 潔 神父
「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得る。わたしはその人を終わりの日に復活させる。」この言葉をユダヤ人たちは理解できませんでした。イエス様との会話はすれ違いでした。
2004年に制作された「パッション」という映画。こちらの映画です。3時間近いむごいシーンがあるので、最後まで見るのはしんどい映画ですけれども、この映画は、十字架の刑に処せられている場面と、最後の晩餐の場面が交互に映し出されます。最後の晩餐で、イエス様は遺言を言われます。「互いに愛しなさい。わたしがあなた方を愛したように、互いに愛しなさい。わたしを信じなさい。わたしは道であり、真理であり、命である。」続いてイエス様が手と足に釘打ちされる場面が現れます。痛くてとてもしんどい。十字架をひっくり返される場面も続きます。そして最後の晩餐の場面に戻ります。「これを取って食べなさい。これはあなた方に与えるわたしの体だ。」続いて釘打ちされたイエス様の十字架が立てられる場面が続きます。そしてまた最後の晩餐の場面です。「これを取って飲みなさい。これは新しい契約の血。罪が赦されるよう、多くの人のために流される。これをわたしの記念として行いなさい。」そして十字架の場面に戻ります。十字架につけられたイエス様に、群衆たちは「お前が神の子なら自分を救ってみろ」と罵倒します。最後の晩餐は十字架の痛みとセットです。自分の命をお捧げする覚悟があって最後の晩餐があります。自分の体と血を罪の贖いとして捧げる覚悟があって、御聖体があります。御聖体はイエス様からの愛の形見です。けれども、ユダヤ人たちはイエス様の言葉を理解できませんでした。「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得る。」御聖体は、イエス様からの愛の形見です。
御聖体を受けて、人生が変わられた方をご紹介いたします。娘さんお二人のお言葉からです。
英文学の仕事をしていた父は、自分の信念や理想が揺らぐことはほとんどなく、むしろ頑固なまでにこだわり続けて生きてきました。でもそのこだわりの故に、前に進めなくて困っていることもあったように思います。そんな父が病院で最後の治療の選択をした後、洗礼を受ける覚悟をしました。
一生懸命英文学に打ち込んでいた父が、人生の最後に御聖体を受ける決断をしてくれたことが、どれほど大きな恵みだったか。
地上の食べ物はだんだんと受け付けなくなってきている父でしたが、御聖体が信仰の飢えと渇きを癒していただき、永遠の共同体に入ることができ幸せでした。
病院での洗礼式で、父が生きている間に初めていただいた御聖体、そしてそれがこの世で唯一の御聖体。でも、その御聖体のおかげで、母と娘二人、私たち家族は永遠に一つになれたように思います。
父は目に見えて、洗礼の後、穏やかになりました。生まれ変わって神の国を見る準備をしていたのでしょう。受洗の後に穏やかになったのは、死を乗り越える力を神様が父に与えてくださったからでしょう。
父が人生の最後に生まれ変わる勇気を持ってくれたことは、父から家族への最後の大きなプレゼントだった気がします。
「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得る。わたしはその人を終わりの日に復活させる。」イエス様の御言葉と、御家族様の体験は響き合うように感じます。
カトリック教会には、聖櫃があります。「聖櫃のイエスのつぶやき」という詩を、フランシスコ会の小高神父様が「旅人の糧 ご聖体」という小冊子の中で書いておられます。一部を変えてご紹介いたします。
わたしはいつも待っている 病気で苦しむわたしの友のもとに運ばれることを
ミサに出られない病床の友を力づけることを
わたしはいつも待っている 死に臨むわたしの友の最後の糧となることを
死は恐れるに足らぬこと わたしは死に勝ったと告げることを
わたしはいつも待っている この世の苦しみの中で力尽きたわたしの友が わたしの前でその苦しみを吐露し、わたしが共に苦しむことを それによって苦しみが軽くなることを
わたしはいつも待っている わたしの苦しみが友のためのものであったことを
わたしが友のためにいのちを投げ出す用意があることを悟ってくれることを
わたしはいつも待っている 幸せに満たされたわたしの友が
父を賛美するためにわたしのもとを訪れることを
わたしはいつも待っている
40度近い聖堂、聖櫃の中で
一日中 この聖堂で わたしはいつも待っている
「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得る」と言われるイエス様は、聖堂でいつも私たちを待ってくださっています。イグナチオ教会は、病気の方へ御聖体をお持ちする用意をしています。最近お二人、今年度になって5人の方が病者のための聖体奉仕者に加わっていただきました。合計15名の奉仕者が「イエス様の体、御聖体を運ぶ足」となってくださいます。聖イグナチオ教会に所属される、ご希望の方は、教会事務所にお問い合わせください。
「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得る。」御聖体はイエス様の愛の形見。御聖体を与る私たちが、聖体のありがたさを感じ直しましょう。また、ミサに与れない方にも永遠の命の糧、御聖体を拝領できるよう願ってミサを続けて参りましょう。
聖母の被昇天
髙祖 敏明 神父
8/15(木)10:00- 聖母の被昇天
この平和旬間の間に日本のマスコミもいろいろと戦争や平和のテーマで番組を作っています。皆様ご覧になっているでしょうか。今、NHKの朝ドラ「虎に翼」の中でも、広島と長崎に原爆を落としたことが国際法に違反するかどうかということの裁判の、今その場面に入っているところですね。そして8月10日、テレビ東京の「新・美の巨人たち」という番組を見ていましたら、広島の幟町の世界平和記念聖堂が紹介されていました。広島出身の俳優の西田尚美さんがレポーターになっていましたけれども、説明によると、広島出身なのにこの世界平和記念聖堂に入ったことがなかったということで紹介していました。ここの教会は1923年と言いますから、大正12年に幟町天守公教会ということで誕生しています。しかし、1945年8月6日の原子爆弾によって崩壊し、フーゴー・ラサール神父さんたち3人の神父さんは、その教会の下敷きになって非常に大きな怪我をされました。それを当時郊外の長塚にいたアルペ神父さんの指揮の下、若い新学生たちが救出に向かったという、あの話が残っています。戦争が終わった8月からふた月ぐらいたった頃でしょうか。トタンのバラックの聖堂が作られて、そこでその年のクリスマスのお祝いもしています。そして、この地にラサール神父さんが中心になって、世界大戦で亡くなった人々の慰霊と世界平和を願って建てられたのが世界平和記念聖堂です。1954年8月6日の献堂式です。
実はこの幟町の平和記念聖堂は私の出身教会でもあります。道路を挟んだ目の前に幟町小学校がありまして、私は6年間そこに通いました。と言いましても、小学校時代はカトリックとは縁がありませんで、12時にお告げの鐘が鳴ると、お、給食の時間が近づいたというようなイメージで通っていたような状況でした。そして、小学校を卒業してからイエズス会創立の広島学院に入ったわけですけれども、そこでイエズス会の神父さん方を通してカトリックと出会いました。1960年、中学校3年生の時に受洗していますので、この平和記念聖堂ができてからのことです。それ以来、幟町の教会に通うことになりましたけれども、大学進学に伴って東京に出て、東京が生活の本拠地になりましたので、この平和記念聖堂のことを体験的には知っていてもあまり詳しくは知らなかった。詳しくそれを知るようになったのはここ数年でありまして、その意味でこのテレビ東京の世界平和記念聖堂についての紹介は、非常に私にとっても興味深い番組でした。
その中でいくつかのことだけちょっとご紹介しますけれども、戦争が終わって間もなく、ラサール神父さんはローマに出かけています。当時の教皇ピオ12世に謁見を得まして、原爆と世界大戦で亡くなった人々を慰霊するため、また世界の平和を祈るための聖堂建設についての認可を得る、ということは支援を仰ぐっていうことですね。そして実際にヨーロッパとアメリカを回りながら、建設資金を集めるために本当に動き回っていました。当時のお金で6000万円を集めたと言われています。同時に日本に帰って1948年、設計のコンペを実施しました。何を審査の基準にしたかというと、モダンであること、日本的であること、宗教的であること、記念碑的であること、この4つが基準だったそうです。蓋を開けてみると、なんと1309名から、チームで作ったでしょうけども、177点の応募作があったそうです。それを審査にずっとかけていったんですが、2位になったのが、かの丹下健三さんです。そして、1位は入賞なしでした。なぜ入賞はなかったか。ラサール神父さんが書いているものを見ると、どの作品も日本的という感じがあまりしない。そして特に宗教性が感じられないというのが大きな理由だったようです。設計コンペがうまくいかないと教会建設が進まない。それでどうしたか。イエズス会側もいろいろと考えていたんでしょう。審査員の一員であった村野藤吾さんという建築家、この方も当時有名な建築家で、この方は審査側にいたんですね。この人に設計を依頼する。しかし村野さんは当然、自分は審査員だったのに、自分が設計に加わるということは、自分がやるために他の人をみんな落としたのかというふうに疑われるじゃないかということを心配したでしょうし、自分自身が入っていくというのはおかしいでしょうということで、本当に辞退を重ねたそうですけれども、最後的には折れて、じゃあやってみますということで受託したそうです。
基本コンセプトとしたのが、古来の伝統的な教会建築、この伝統を重んじることと、モダンで日本的なものとを融合する。そして、神は細部に宿るということはよく言われますけれども、美は細部に宿るという、これも基本的なコンセプトにして、いろんなアイディアを持っていったけれども、そのたびにラサール神父さんをはじめとするイエズス会側にダメ、ダメと断られて、これで断られたら私はもうやらないという決意のもとに持っていくと、お、これはいいじゃないですか、という形で決まったのが今の教会の設計のもとになったものだそうです。広島でご覧になった方も多いかと思いますけれども、聖堂の高さは3階ですからこの教会よりもちょっと低いかもしれないけど、ほぼ同じくらいの高さですね。内陣は伝統的な三廊形式です。三廊形式というのは、古いイグナチオ教会がちょうど船をイメージしていまして、真ん中に胴体があって、柱の外に側廊がついているという、この3つの構造で、基本的に船の形で教会を作るという、こういうイメージですね。幟町のこの平和記念聖堂もそういうものをとっています。そして、そういうこの大きな聖堂の横に45メートルの塔がありまして、そこに鐘が吊るされている。
そこの日本的なものがどうなっているかというところをちょっとご紹介したいと思いますけれども、例えば、教会の中に電灯が吊るされている。その電灯の笠が蓮の花の形をしているそうです。そして、ステンドグラスが中にあるんですが、それを建物の外から見ると、ステンドグラスのこの見える光をとっている窓が梅の花の形であったり、五弁の花の形であったり。私たちがよく松の木の絵を描くときにこの3つの山を作りますね。そんな風な窓を使ってあるとか、そしてひとつ極めつけは、主聖堂の上に本来なら十字架を立てるところなんですが、そこに鳳凰フェニックスを飾っている。ご存じのようにエジプトの神話に出てくる霊なる鳥でございまして、50年60年たったら自分の体を燃やして、そこから若い命が出てくるということで不死鳥と言われています。絶えず生き返っていくというこのフェニックスを置いている。45メートルの塔、これは私も何度か登りました。あの時代、周囲に高い塔もなかったものですから、非常に眺望がいいんですよね。広島市内全体を見渡せるということで、そういう塔も登った記憶があります。
1950年、建設工事が始まります。ところが日本は朝鮮戦争の特需で資材が高騰していく。そのために6000万円では足らない。工事が中断して再度募金に走るというようなことが繰り返されています。そしてラサール神父さんをはじめ多くの神父さんたちがいろいろと努力している姿を見て、村野さんは、本来ならいただくべき報酬もいりません。全部お返します、という形で返したそうです。そして、お金がかからない工法ということで、現場で様々なものを自分たちで作ってこの教会を仕上げる、安くあげるということ。例えば広島の川の砂を取ってきて、それでレンガを作ったりしているんですね。そういうようなこともちょこっと紹介されていました。そして同時に番組が強調していましたのは、ラサール神父さんは世界を回った影響もあるんでしょう。世界から平和への願いというのがこの教会に届けられている。本祭壇はベルギーから届いている。聖堂正面のキリスト像は再臨のキリストの絵なんですけれども、このモザイク画はドイツのベルリンから、洗礼盤はドイツのアーヘンから、説教台はミュンヘンから、パイプオルガンはケルンから。ラサールさんがドイツ人であったということもあって、また大戦後のドイツはキリスト教を基本に据えた新しい国づくりを進めていましたし、日本と同じ敗戦国として平和への願いが強かったから、ドイツからのこういうものが多かったのかな、という気がしております。
そして、番組では深く紹介していませんでしたけれども、45メートルの塔には平和の鐘が4つ付けられています。私が給食の合図って聞いたのは、実は平和の願いの鐘だったんですね。そしてもう一つ私たちが身近に感じるところは、この4つの鐘は私たちの聖イグナチオ教会の鐘と兄弟なんです。製造元はブフメル・フェライン鉄工所というドイツのボッフムにある鉄工所で、第二次大戦中、戦車や銃器の兵器を製造していました。この会社の重役に聖イグナチオ教会の当時の主任司祭ホイヴェルス神父様のお兄さんが勤めていた。そして私たちのこの古い教会が1949年4月17日に献堂しましたけれども、その時にかつての兵器を潰して製作した3つの鐘、聖イグナチオ、上智の座、聖テレジアと名前が付けられたこの3つの鐘がイグナチオに贈られて、先ほど10時の10分前にも鳴っていましたよね。この同じ会社が広島の平和記念聖堂のための4つの鐘を作りました。1952年、イグナチオ教会ができてから3年後のことですけれども、10月、ボッフム市のホールでこの4つの鐘の贈呈式があって、11時55分から12時までの5分間、この4つの鐘がボッフムに鳴り響いたそうです。それをずっと船で日本に運んできて、1954年8月6日のちょうど原爆の日に世界平和記念聖堂の献堂式を行い、この4つの鐘も鳴りました。この4つの鐘にも名前とラテン語の文章が付けられています。
1番目は平和の元后、つまりマリア様に捧げられたものですね。そこには「戦争を動かす鉄は、今や諸国に平和を呼びかける」というラテン語の文章が刻まれています。2つ目はドイツの使徒、聖ペトロ・カニジオ。宗教改革の時にイエズス会に入り、ドイツの多くのところでプロテスタントからカトリックに帰るような仕事をした方で有名ですね。このペトロ・カニジオの鐘には、「戦争で破壊されたドイツは平和のために日本国民と結ばれる」というラテン語が書いてあります。3つ目の鐘は日本の使徒、聖フランシスコ・ザビエルに捧げる。「西洋から来て東洋にキリストの福音を伝える」という文章が刻まれています。4つ目、日本26聖人の一人、聖パウロ三木に捧げる。ご存じのように聖パウロ三木は十字架の磔に、長崎の西坂で磔になっている。その上でキリストの教えに従い、十字架につけた太閤様をも赦しますという言葉を残して殉教していった方ですけれども、ラテン語の文章は「殉教者の血はキリスト者の種子、また平和の種子である」という文章が書かれています。それぞれドイツから広島に、広島だけではなくて全世界に向けられた平和のメッセージ、平和の祈りがそういうところに込められています。
世界平和記念聖堂はこうしたメッセージと、世界から届けられた祈りに支えられております。今日の、平和の元后であるマリア様の祝日のお祝いにあたって、そういうこの教会と兄弟の鐘を持っている広島のことを思い起こしながらご一緒に祈りを捧げたいと思います。なお、世界平和記念聖堂の聖堂に入るところに銅でできた扉があって、これはデュッセルドルフから送られているんですが、そこにも文章が刻まれています。「平和への門は隣人愛なり」。この言葉と、先ほどの4つのラテン語、4つの鐘に刻まれた願いと祈りを思い起こしながら、神のもとにおられる平和の元后、被昇天の聖母マリア様のとりなしを願って、私たちも平和を願い求める祈りを捧げたいと思います。
*世界平和記念聖堂写真(Wiiii, CC BY-SA 3.0
年間第19主日
サトルニノ・オチョア 神父
8/11(日)10:00- 年間第19主日
ただいま耳にした福音、この日曜日の典礼の福音で「わたしはパンである」ということは特別に意味があります。ご存知のように北半球では今、小麦の収穫の日です。それで今でもスペイン、フランス、イタリア、特にウクライナの方では、そこへ行くと本当に収穫前の畑は黄金の海のようです。少し風が通ると黄金の波さえもあります。それを見て、私たちは神様に恵まれていると昔から人々は言います。これがありますので、やはり今年は大丈夫です。食べられる、生きることができます。そのパンはただ小麦のパン、フランスパン、バゲットだけじゃなくて、命です。
聖書の第1ページでは、アダムが罪を犯した時に神は、汗を流しながらパンを食べるでしょうとおっしゃいました。このパンは本当にあなたの努力と仕事と苦労しなければ得られない。このパンというのは、ただ特別な食べ物ではない。パンは命です。日本語のお米みたいなものです。特別です。だからいろんな言葉で、英語でもフランス語でも、私は糧を作るということです。命、生き方ですね。これをサラリーがあって仕事によって給料ができますので、それはパンを作ると言われるんですね。私のパンですね。私の日用のパン、これは作っている命です。これがあれば私たちは食べられる。ちなみに日本語では主の祈りがあるでしょう。それで、私たちは日用の糧と言うんです。本当にパンです。けれども、日本語で糧と言ったら、もっと生きるためにどうしても必要なことですね。
このパンについてイエス・キリストは、「わたしは命のパンである」とおっしゃいました。これをわかるために、今、私の胸に浮かんでくるのは37年前のことです。
私の教え子は慶応大学に入ったばかりで、すごく経済的に恵まれている家ですので、彼はですね、夏休みどうしましょうかということで、何気なく彼は「カルカッタへ行きます。それでマザー・テレサのそばで1ヶ月ぐらい働きたい」と言ったんです。それで行っちゃった。帰る時にカルカッタの電車の駅で彼が待っていると、電車が遅れたみたい。お腹が空いたので、店へ行って立派なお弁当を買って、それで食べようとしたんですね。駅のベンチに座ってそれを開けると、なんか子どもたちが5~6人。あの弁当箱を見て彼のそばに来ていたんです。それで彼が慌てて、どうしようもなくなってね。あの弁当をベンチに置いて、それで去った。子どもたちは言うまでもなく、それを食べることになったようですね。だけど、彼は後で帰ってきて「先生、これは果たして良かったでしょうか」。それで私は、「いえ、良いことしたんですけれども、それほど良くない」「では、どうしたら。もっとお金もあげるとか」「いいえ、あの子どもたちと一緒に食べたらどうですか」。
それで今日はこのパン。私たちはパンのことを見て、考えて、感謝しながら、いつも日本語で「いただきます」と言うことは素晴らしい祈りです。私たちはパンを食べる時に、天からいただいているパンですから。それでパンを食べる、これは恵みです。幸せです。素晴らしい。美味しくいただく、それ以上何か良いことがあるんですか。もしかしたらパンを食べるよりもパンを与える。与えることができる。私があなたにも与える。福音でイエス様は弟子たちに、(人々に)パンを与えることによって食べさせてくださいと。見事にパンを与える時にはそのパンはなくならない。パンを与えることは素晴らしいことです。なお、パンを食べることは幸せ、パンを与えることはもっと幸せ。それ以上考えられる。私の教えはパンを分かち合う。同じパンを食べる。それによって私たちは兄弟になります。同じパンを食べるんですから。また少しあえて考えながら、それ以上あるんですか。それ以上、今私たちのやっていることです。イエス・キリストは私たちのパンになる。ミサで本当にあのホスティアの形で、私たちはもうパンじゃなくてイエス・キリストの命をいただいて、分かち合って、それによって私たちは本当の教会になります。本当の兄弟姉妹になっています。1つの神の民になります。こういうふうに考えて私たちは、特別にこの8月の暑い日曜日に祭壇を囲んで、あのイエス・キリストをいただいています。イエス・キリストは私たちのパン、私たちの命です。
年間第18主日
関根 悦雄 神父
今日の福音は、先週の5つのパンと2匹の魚を5000人に分け与えた翌日のことです。パンの増やしの奇跡はどの福音書にも出てきますね。これは私たちにとっても大事なことです。そしてその翌日に何があったかというと、まず多くの人たちはイエスのもとにまた集まろうとしました。それは何のためですか。そこで自分たちがパンをいただいた。その当時も今と同じように、自分の食事ができないで飢えている人がたくさんいたと思われます。そういう人たちは、イエスのもとに集まれば何とかなるんじゃないか、そういう期待を持ってイエスのところに集まった。しかし、イエスが望んでいることはそういうことではない。イエスは「はっきり言っておく。あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからだ」。そこでイエスはこう言います。「朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい」。
永遠の命に至る食べ物。永遠の命というのは何ですか。ヨハネは別のところで、イエスの祈りの中でこう言っています。
「永遠の命とは、唯一のまことの神であるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです」。
父である神を知り、そしてイエスを知ること、これが永遠の命だ。これも難しいですね。
私たちは毎週、あるいは毎日の人もいるかもしれません。ミサに与ってキリストの体をいただきます。これはキリストの命をいただいていると言っていいでしょう。これは何ですか。腹を満たすためですか。そうじゃないでしょう。小さなイエスの体をいただいても腹は満たされません。これは何のためでしょうか。今日の結論ですが、これは永遠の命を生きるためです。イエスは永遠の命の糧です。今日の福音の後ろの方にそういう色々なやり取りがあって、そこで彼らが「主よ、そのパンをいつもわたしたちにくださいと」言うと、イエスはこう言います。「わたしが命のパンである」。こう言うんです。私が命のパン。イエスが命のパン。イエスの内にこそ命がある。私たちこれをちゃんと分かっているかどうか。私たちがイエスをいただくというのは、この永遠の命を生きるためなんです。
さあ、皆さん。私たちキリスト教について学んだ時に、確かにキリストの復活とか永遠の命について学んだはずです。永遠の命というのは、私たちが今生きているこの生物的な命が亡くなった後に生きるものですか。そうではない。すでに私たちは永遠の命に生きるように召されている。このことが大事だと思います。じゃあ、私たちは永遠の命を生きているという自覚はありますか。イエスは私たちに、この永遠の命を生きるために大事な命令を残しました。それは「互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい」。
これが永遠の命に生きること。イエスの命を生きるとは、私たちが互いに愛し合い、互いに生かし合うこと、人と人とが生かし合うことです。自分一人が生きるんじゃないです。私たちは永遠の命を生きているならば、自分の命を自分のためだけではなく、むしろ必要な人のために差し出す。人を生かす。これによって互いに結ばれて、共にキリストに生きる者になっていくことができる。
私たちが今生きているこの世界、今の世の中では分断が進み、自分さえ良ければ他人のことなど構っていられない、そのような風潮が強くなってきているんじゃないでしょうか。今日この後の共同祈願の意向の中で、「世界から飢餓の苦しみを取り除いてください」とあります。しかし世界中ではなく私たちの周りでも、例えば今、夏休みになると、子どもたちが十分に食べられない。そのような状況が起こっていると言われています。それはなぜですか。本当に人々を支えるための仕組みがうまく機能していないからでしょう。
共に生きる、互いに生かし合う。これが永遠の命を生きることだということを知って、私たちも一人ひとり、私たちの周りにいる生きることが困難な人たち、その人たちを支える。必要なものは、私たちにできるならそれを与える。そういうことが求められているのではないかと思います。私たち一人ひとり、このイエスを信じる者として、永遠の命を生きる者としてそのような分かち合いができるように、もちろん私たちの間でも与え合う。そしてそれによってつながっていく。これをもっともっと強めていければいいのではないかと思います。そういうことのために互いに祈り合いましょう。