トップページ おしらせ ミサライブ配信とお説教2024年6月の説教

2024年6月 ミサ説教

2024年5月


年間第10主日

髙祖 敏明 神父

6/9(日)10:00- 年間第10主日


 今日の3つの聖書の朗読、救いの歴史がずっと書かれていまして、特に今の結びのところですね。「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ」と。ここに父は出てこないんですけれども、ここにいらっしゃる皆さんがその兄弟であるということを、改めてこの御言葉は教えています。そのことを心に留めながら、今日は現聖堂の25周年でございますので、そちらの方に重きを置いたお話をさせていただきたいと思います。


2024年6月9日 年間第10主日 お説教をする髙祖神父

 25年前の1999年6月6日、この日は聖霊降臨の祭日だったそうですが、この日に献堂式が行われました。白柳誠一枢機卿が主式を司られ、この教会の設計図と鍵が当時の主任司祭の池尻廣幸神父に手渡され、この祭壇と皆さんの周りを囲んでいるこの12の柱に聖別された油、聖香油を塗って献堂式を祝いました。正面のイエス像、「シャローム、主の平和」という、「さあ、いらっしゃい」と招いているようにも見えます。この教会自体が楕円形をしている。祭壇を囲むような形で、180度よりもっと囲む形で信徒席が作られている。皆さんお気づきでしょうか。この12の柱はずっと同じ太さじゃないんですよ。上に行くほど少し細くなっているんです。そのイエスの12使徒を念頭に置いた12の柱と、花びら模様の天井、そして聖書が描く大自然をテーマにしたステンドグラスが12枚並んでいます。正面の祭壇の、皆さんから見ると右側には葡萄、左側には麦。言うまでもなくパンとぶどう酒の聖別をする、そのことがこの祭壇を囲むステンドグラスに描かれております。そしてドイツ製のパイプオルガン。このパイプオルガンも25周年を迎えておりまして、つい先日6月4日に浅井先生のオルガン演奏で「オルガンと祈りの集い」をこの聖堂で行いました。


 このように様々な特色があるんですけれども、この新聖堂建設に向けて動き出しましたのは1990年代前後というふうに聞いています。当時の記録を改めて読んでみますと、前の聖堂は1949年にフランスコ・ザビエルが日本に来た、その記念を重ねる形で作られた聖堂でしたが、その教会が老朽化し手狭になってきた。そしてもう1つ問題があったのは、出入口が少なかったために、新しい消防法からはこれは違反建築ですよ、と言われたということも言われています。そういうことが主な理由で新しい聖堂を計画しましょう、ということが人々の口にのぼり、実際に進められていきました。でも様々な立場の方が様々な希望や考えを出されて、意見の違いや対立もいろいろとやっぱりあったようです。その中で何度も説明会、意見聴取を繰り返し、そして今の教会、典礼はこういうふうなことで動いていますよ、という講習会をやったり、そして何人かの代表的な方々には教会建築が今どんなふうになっているかということを見て回るツアーも組んで、これも日本だけではなくてヨーロッパまで行って見てきた、というようなことも書かれております。それらの様々な意見や期待を1995年5月20日と言いますから、献堂の約5年前に起工式が行われていますが、その時には留意点6つ、このことに注意して新しい教会を造っていきましょうということに大体意見を集約したそうでございます。この6点は今日でも通用いたしますので、皆様にご紹介申し上げます。


2024年6月9日 年間第10主日ミサ

 第1点、第二バチカン公会議の精神を汲み取り、祈り、宗教儀式、結婚式、葬儀などの秘跡の場としてふさわしく、静かで神聖な空間を創造すること。
 2点目。教会を訪れる全ての人々に配慮し、開かれた教会とすること。
 3点目。植木や広場を十分に活用し、貴重な敷地を有効に活用すること。一言説明を加えますと、この聖堂はもちろんですけれども、前の庭、鐘楼、門、それから道路を挟んだ土手筋も借景として、これらを含めて教会なんだという、そういう捉え方。
 4点目。従来の聖イグナチオ教会の鐘やステンドグラスなどをできるだけ活用すること。あの鐘はそのままですし、クリプタに降りていく階段にあるステンドグラスだとか、かつての教会にあったステンドグラスをあちこちに散りばめて活用しているのを皆さんもご存じだと思います。そして、古い教会の祭壇がそのままクリプタの祭壇でも使われております。
 5点目。小教区教会としての必要に応えるとともに、小教区を超える性格を持ったインターナショナルな教会にすること。
 6点目、情報化時代にふさわしい設備を整えること。


 こうして6点を聞いてみますと、私たちのこの教会がこのビジョンの延長線上にあるということがわかると思いますし、また同じような課題も抱えている。そういうこの新しい現聖堂を造り上げ、献堂式まで導かれた先人の方々の努力に、私たちは様々な恩恵をこうむっています。そしてもちろんその背後には、神様が私たちを導き支えておられる。改めて感謝を申し上げたいと思います。その代表格として、改めてこの正面のイエス像に目を向けてみたいと思うんですが、十字架像というと多くは十字架上で死去するイエス様の姿が多いんですが、ここの教会の場合には、復活のイエス様が御像として掲げられています。十字架の輪郭。確かに十字架はあるんですけれども、壁の色と同じ十字架になっていますので、その壁の色に吸い込まれるようになっている。その上にイエス様の像が飛び出るという形になっていますが、これは十字架に対する勝利、復活を表しているんだそうです。そして聖堂全体を「シャローム」、皆さんに平和があるようにという挨拶ですけれども、この平安と喜びで包んでいる。さらにこの皆さんが座っていらっしゃる聖堂は12の柱で支えられているんですけれども、同時に私たちの先輩たちが眠っているクリプタに支えられています。地下にクリプタがありますので。この建物の構成自体が「死から復活へ」ということを象徴的に示している。この主聖堂はそういう意味で主イエスの復活を象徴するお御堂となっています。


2024年6月9日 年間第10主日ミサ

 この聖堂を建築する時に、ミサが終わる時にみんなが声を合わせ、心を合わせてお祈りをした祈りがあります。改めて読んでみますと、今の私たちの祈りにもしたいところです。建築のところを献堂25周年という言葉にちょっと変えてこの祈りをもって説教を結びたいと思います。皆さんもどうぞ耳で聞きながら心でのお祈りしてください。


 父なる神よ、あなたは慈しみ深い御心から、御子イエスをこの世に遣わしてくださいました。主イエス・キリストは救いの恵みを人々に与えるため、聖なる教会を建てられ、この地に聖イグナチオ教会共同体を育まれました。今、私たちは献堂25周年を迎えて、この教会があなたの御心にかなうものとなるよう、心を1つにして祈ります。道行く人々が聖堂を仰ぎ見て心の安らぎと神の招きを感じますように。聖堂で祈る人々が御父の愛に包まれ、救い主イエスに出会うことができますように。キリストの食卓を囲む私たちが喜びのうちに礼拝と賛美を捧げ、1つの共同体として社会の光と塩になれますように。あなたの祝福が設計、募金、労働、祈り、奉仕をもって協力するすべての人々に豊かに注がれますように。私たちの主イエス・キリストによって。

ミサの終わりにご寄付を頂いたザビエル聖堂オルガンの祝福式が行われました。


キリストの聖体の祭日

李 聖一 神父

6/2(日)10:00- キリストの聖体の祭日


 キリストの聖体を記念するこの日曜日ですが、皆さんお一人お一人にご聖体に関するというか、ご聖体の思い出っていうのはおありだろうと思います。私は幼児洗礼でしたので、小学校2年生の時に初聖体っていうのがあって、そこで初めてご聖体をいただきました。あまり美味しいものとは思いませんでしたが、そのご聖体をいただく時によくその神父さんから「これ、噛んじゃいけないよ」って言われて、噛めるほどのものじゃありませんから、こんなもん噛めるかいなと思ってたんですけど、どうして噛んじゃいけないんだろうなと思って母に聞いたら、母は「ご聖体を噛んだら十字架のイエス様から血が流れる」って言ったんですよ。私はびっくりして、そんなことあるかいなと思いながら、注意深く噛まないようにご聖体を飲み込むわけですよね。ある時に口の中にくっついちゃってうまく食べられなくて、しょうがなく噛んでしまったことがあって、ああ、しまったと思って十字架像を眺めたら、別に流れてないなと思って安心したことがありました。

2024年6月2日 キリストの聖体の祭日 お説教をする李神父

 それからイエズス会に入って神学っていうのを勉強し始めた時に、私はそのことがどうしても気になったので、その当時典礼神学を教えておられた土屋神父様、この方は日本語の典礼を作っていくのにとっても尽力された方ですけど、その神父さんの授業の時に、子どもっぽい質問なんだけどと思いながら勇気を出して質問したんです。「神父さん、子どもの頃からご聖体噛んで食べちゃいけないって言われてるんですけど、本当ですか」って聞いたらですね、その神父さんの答えは素晴らしい答えでしたね。「ヨハネの福音書に『わたしの肉、わたしの血。これを食べ、そして飲み』っていうふうに言われているが、その食べるっていうこの言葉は、実はむしゃぶりつくとか、噛み砕くとか、そういう意味なんです。だから遠慮せず噛みなさい」って言われたんです。ああ、そうかと思って、神学っていうのは大事な学問ですから、私はそれを聞いてもう安心してご聖体をいただくようになりました。イエスご自身がその生涯を通して私たちに残してくださった「わたしの体」っていう、そういった時に本当にありがたくいただく、丁寧にいただくっていうこともあるんでしょうが、本当に噛み砕かれる、そのためにイエスはご自分の体を残されたっていう、そんなことを思いながらいただくのもいいかな、と実は思っているところがあります。


 ところでこのご聖体っていうのは、私たちの信仰生活の中で一番大事だと思っている方はたくさんいらっしゃると思いますが、カトリックの歴史の中でこのご聖体について歌われた歌って結構たくさんあるんですね。ラテン語の聖歌なんかもいくつもあって、聖体賛美式だとかそういった時によく歌われるんですが、その中にトマス・アキナスが作った祈りがあるんです。「アドロ・テ・デボーテ」って言うんですが、「あなたを賛美し」という、そういうタイトルですけれども、その聖体賛歌っていうのをずっと見ていくと、最後の方にとっても不思議な言葉が出てくるんです。それは何かっていうと「ピエ ペリカーネ ドーミネ イエス」っていう言葉が出てくるんですね。これは日本語に訳すと「慈悲深きペリカン、我が主イエス」って言っているんです。そして「あなたの流された血によって人類は救われ、私は清められます」っていう言葉が続くんですけど、この「ピエ ペリカーネ」って何だろうと思ったんですね。実は日本語訳にその「ピエ ペリカーネ」っていうのをそのまま訳しているものがあまりないんです。慈悲深きペリカンよ、って何でここでペリカンが出てくるのか私はわからなかったんですね。ペリカンってあんまり見たことないですよね。動物園に行ってペリカンのいる動物園が日本にどれくらいあるか知りませんし、動物図鑑かなんかで見たような記憶もあるんですけれども、このペリカンとイエスはどう結びつくのか、私は色々と勉強してみたんですよ。そうしたらですね、ペリカンっていうのは古代のエジプトとか中近東のああいった国々では、ペリカンは自分の胸をくちばしでつついて、そこから流れ出る血によってヒナを育てるっていう伝説があるんですって。はぁーと思いました。ペリカンってくちばしが長いんですね。そのくちばしで自分の胸をつついて、そこから流れ出る血によってヒナを育てる。そしておそらく中世のヨーロッパのカトリック教会の中ではそういった話が伝わってきて、十字架上で流されたイエスの血によって私たちは清められ、そして生きるものとなるっていう、そこへと結びつけたんだっていうことがわかったんですよ。なるほど、慈悲深きペリカンよ、ってそういう意味があるのか。

2024年6月2日 キリストの聖体の祭日 主聖堂のイエス様のご像

 そして今日の第一朗読、第二朗読は、ご聖体というよりも契約の血っていうことがテーマになっていますけれども、そのイエスが流された血っていうもので私たちは清められ、救われるっていう。そういったことがやっぱり強調されているんだな、ということがわかったんです。ペリカンってさっきも言ったようにくちばしが長いんですが、眠るときにそのくちばしを自分の胸に隠して寝るんだそうですね。そういった姿が自らの血によってヒナを育てるなんていう話になっていったんでしょう。そして古代エジプトでは、ペリカンってペットとして飼われていたんですってね。そしてとっても役に立つ動物で、川に行って魚を取って持ってくるって言うんですよ。この口の中に魚を入れて持ってくる。ああ、そうしたらこれ日本の鵜飼いの鵜と同じようなもんかなと思ったら、実は動物学的に分類していくと、ペリカンと鵜っていうのは同じ種族なんだそうです。なるほどなあ、と思いましたけれども。そんな古代からの言い伝え、そうしたものがイエスのこのご聖体、また御血というものと結びついて語られている。そういう歌、聖体賛歌っていうのがあるっていうことを気がついたんですが、それと同時に私は広島の人間ですけれども、広島に平和記念聖堂っていう幟町の教会があります。そこに正面ファサードに描かれている彫刻っていうか彫り物っていうか、鉄の板ですので、そこに彫り込まれている絵っていうのは実はペリカンなんですね。これに気づく人は結構いないですよ。結構いない。2つあるんですけど、右側の方は不死鳥が描かれていて、左側にペリカンが描かれて、そしてそこから落ちてくる血のしずくっていうのも一つ一つ描かれているんです。で、これはドイツから贈られたものだって言われてますけれども、おそらく原爆の被害によって多くの人々の血が流された。その血によってこの世界に平和がもたらされますように、という願いを込めたファサードなんだっていうことを聞きました。なるほどなあ、私たちが流していく血っていうものが平和を作る、人を助ける、人の命を清めていく。そういったものになっていくっていう願いを、このご聖体というものに込めた。そうした意味というものを、わたしたちは受け取ることができるかなと思います。ご聖体っていうのはもちろん、私たち一人ひとりの個人的な信仰生活を深めていくためにとっても大事なことである。それは言うまでもないですが、しかし同時に私たちがいただくそのご聖体によって、私たちがまた社会に対して、あるいはこの世界の現実に対して語りかけるもの、そしてまた私たちが成すべきことは一体何か。そういったことも含めて捉えていく必要がある秘跡だなというふうに思います。今日はそういった意味でご聖体をいただく時に、このご聖体が私の信仰を深める、そしてまた同時に世界のために私たちが何をするか、それをも考えていく。そうしたきっかけになっていくようになればと思います。


2024年6月2日 キリストの聖体の祭日ミサ

 最後にご聖体拝領するときに皆さん手を前に差し出してくださって、私は「キリストのからだ」って言いますが、そのとき大事なことがあるんですね。これも典礼神学の土屋神父さんから教わったことですが、必ず「アーメン」って言う。これはキリスト者にとってとても大事な信仰告白なのだっていうことを教えていただきました。時々「キリストのからだ」と言って、なんか恥ずかしそうに手を出してそのまま去って行かれる方がいらっしゃいますが、これはもう自信を持って、「これはイエスの体だ」「はい、そうです」、そういう意味でアーメンって言う。この言葉を自らの信仰告白として、その言葉が言えるようになさったらいいんじゃないかなと思います。そういう意味で今日ともにこのキリストの聖体のミサをお祝いしたいと思います。


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