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2025年11月 ミサ説教

2025年10月


ラテラノ教会の献堂 七五三祝福式

柴田 潔 神父

11/9(日)10:00- ラテラノ教会の献堂 七五三祝福式


11/9(日)10:00- ラテラノ教会の献堂 七五三祝福式 司式の柴田神父のお説教

 若い人の聖書朗読はとてもみずみずしくて素敵に感じました。説教もできればやってもらいたいなと思うんですけれども、神父さんがさせていただきます。ちょっと大人向けの説教なので、子どもたちには難しいかもしれませんがご辛抱ください。


 教会が献堂式を記念するようになったのは、もともとは旧約時代から受け継いでいる習慣です。キリスト信者は、聖ペトロ大聖堂と聖パウロ大聖堂(11月18日)、聖マリア大聖堂(8月5日)、そしてラテラノの大聖堂をお祝いしています。そのうちの最も古い大聖堂が今日記念しているラテラノ教会です。


 ラテラノの教会は、ローマの教会が自由になった4世紀、324年11月9日に献堂式が行われています。当時の皇帝コンスタンティヌス大帝が、土地を教皇様に献上し、その土地の上に建てられました。最初の名は「救い主大聖堂」でしたが、13世紀に聖ヨハネの名が加えられ、一般的には「ヨハネ大聖堂」と呼ばれるようになりました。こんにちの教皇の公式行事は、より大きなサン・ピエトロ大聖堂で行われるようになりましたが、ラテラノの聖堂には「ローマと世界とすべての教会堂の母であり頭」であるという碑が刻まれています。


 では、なぜ教会は献堂をお祝いするのでしょうか?アウグスティヌスはこう言っています。 「心をこめて教会の献堂式を賛美すれば、わたしたちの霊的神殿も祝われて刷新されます。 なぜなら、『神の神殿はあなた方であり、聖なるもの』だからです」。この言葉をより詳しく考えてみました。


11/9(日)10:00- ラテラノ教会の献堂 七五三祝福式 七五三の祝福を受ける子どもたちの奉納

 17世紀のフランスのカルメル会修道士、ブラザー・ローレンス(御復活のラウレンシオ)は「神の臨在の実践」という本を書いています。彼は戦争の時代に生まれ、入隊しますが脚に怪我をして、故郷に戻ります。職を転々とし、28歳の時、パリの跣足カルメル会の修道院に入り、ブラザーとなります。怪我をした足を引きずりながら、15年間、修道院の調理人として働きます。足の状態が悪くなると、座ってでもできるサンダル作りの仕事をしました。


 彼は、修道院に入ってしばらくは「霊的に未熟だ」と劣等感を抱えていました。けれどもだんだんと内的な平和を感じ始めます。仕事を始める時は、「神さま、あなたは私と共におられます。今あなたの言葉に従い、私の心を仕事に向けます。どうか、ずっと私と共にいて、私を助けてください。私の働きと私の愛をすべてお受け取りください」と祈りました。


11/9(日)10:00- ラテラノ教会の献堂 七五三祝福式 子どもたちに祝福をする山内神父と柴田神父

 仕事が終わると振り返り、もし神様と一緒に仕事ができていたなら神様に感謝し、そうでないなら神様に赦しを願います。がっかりしないようにもう一度心を整え、神様から離れることがないように願いました。すると、自分が神の住まいだと感じ続けられるようになります。


 ブラザー・ローレンスは言います。「神様と共にいるためには、いつも教会にいる必要はありません。私たちは自分の心の中に礼拝堂を作り、折に触れてそこに留まり、従順に、謙遜に、愛をこめて神と対話すればいいのです。誰でも多かれ少なかれ、このように神と親しく対話する能力を持っています。神様は、私たちに何ができるかをご存じです。おそらく神様は、私たちからたった一つのこと、すべてを捧げる決心を持っているかどうかだけを見ておられます。神様だけが心を満たしてくださいます。だから、始めましょう。勇気を出しなさい」。


 神様に自分を捧げしていれば、私たち自身が神の住まいとなれます。ラテラノの教会を祝いながら、ローレンスのように神様と対話して、一人ひとりが聖霊が働く神の神殿となってまいりましょう。



死者の日

ハビエル・ガラルダ 神父

11/2(日)10:00- 死者の日


 いつもそうですけれども、今日は特別に、そしてこのミサの時に特別に、亡くなられた愛しい方々のために向かって「ありがとう、よろしく」と何回も繰り返す日です。さらに、神様に向かって同じ言葉を繰り返します。「この方々をよろしくお願いします。私たちはもうこれ以上何もできませんので、お願いします」。そして神様に向かって「ありがとうございます。この大切な人に会わせてくださってよかった。ありがとう」。しかし、寂しいですね。限りなく寂しい。その人の声はもう聞こえない。いかに大切だったか今になってわかる時もあります。大切な人の大切さは「不在」で感じられると思います。いる時には当たり前だと思いますけれども、いなくなりますと、いかに大切だったかということがわかります。


9/21(日)10:00- 年間第25主日

 しかしこの方々は今、何をしていらっしゃるでしょうか。わかりませんね。イエス・キリストが教えてくださったことは2つの大事なヒントですけれども、1つは全然違った様子で、全く異なった状態で、まさしく同じ人間が生きるということです。状態は全然違う。人の様子はもう違う。でも、まさしく同じ人間は生きる。イエス・キリスト自身が復活してから何回も弟子たちに現れましたね。その時に弟子たちは、マグダラのマリアでさえ隣にいてもわからなかったんです。つまり、全然違う様子です。ところが心でわかると、まさしく同じキリストだとわかります。私たちの愛しい人たちもこのようなことだと信じています。もう1つのヒント。イエス・キリストがおっしゃったんです。「永遠の命は宴会のようです」。まさしく宴会ではないけれども、宴会のような、つまり宴会の本質は愛ですね。親と一緒に仲良く分かち合って、助け合って、飲んで、笑って、話して、仲良く生きる。これは宴会の本質ですね。それは天国です。永遠の命です。神学者たちはこの言葉でまとめたんです。「愛し合って喜ぶ、とこしえに」。これです。


 ところが1つの大事なことがあります。イエス様が今の福音でもおっしゃっているんですけれども、イエスを見て、信じる人は宴会に入ります。でも、イエスを信じない人は宴会に入らないわけですか?これは私たち、主に皆さんに重大な質問ですね。周りの非常に大切な人がキリストを信じなかった。キリストに対しては全然興味がなかった。じゃあ、その人は宴会の時にはいらっしゃらないわけですか?あまりにも寂しすぎるんですね。そうではないと思います。イエス・キリストの言葉を信じましょう。「私の羊は私の囲いの中にいる。しかし囲いの外にも私の羊がいる。なぜなら私の言葉を聞いて、それに従う羊です」。囲いというのは教会ですね。囲いに入っているのは私たちですけれども、入っていない人がいる。皆さんの非常に大切な人です。入っていなかった。囲いの外にいた。でも、イエス・キリストが言うんです。その人は心の声を聞いて、心の声はイエス・キリストの声ですね。その声は「愛し合いなさい」という声です。その声を聞いてそれを行った人は、その声に従った人は「外にいても私の羊です」。これはいいですね。ですから、キリストの声に従う、愛し合うということです。それなら宴会に一緒にいてくださると思います。


9/21(日)10:00- 年間第25主日

 もちろん、なるべくなら囲いの中に入っていただきたいんですね。イエス・キリストがそれを言いました。「全世界に行って、みんなに洗礼を授けなさい」。イエス・キリストは、洗礼を受けて囲いに入ることを望んでいらっしゃるんです。しかも入って、今のようにミサも礼拝もある。秘跡もあって、愛は深められるんです。深くなるし、愛が清められる。そして講座といろんなこと、本来の雰囲気はやっぱり神様に導く雰囲気です。ですからなるべくなら囲いに入っていただきたいけれども、無理な時もあります。その時には、本人にとっては「私はキリストの声に従っているつもりじゃないよ」と言ったでしょう。それはそうです。でも、イエス・キリストにとっては、「この方は私の声に従う私の羊です」。


 そういえば、1つの可愛らしい実話を思い出しますが、ある日本人の夫婦で、60年以上にわたって円満な夫婦生活を送ってきた2人のことです。話によりますと、夫婦喧嘩はかなり多かったそうですが、仲直りが早くて、喧嘩の話題自体もかわいらしくて、なかなかいい夫婦だなという評判の2人でした。ところが、残念ながら旦那様の方が亡くなられました。ご家族は墓地でお墓を囲んで心の中で祈りをつぶやいてから、では行きましょうと言った時、おばあさんになっていた奥様が「私はもう少し残りたいと思いますが、よろしいでしょうか」と言いました。「もちろんおばあさま、どうぞごゆっくり。私たちは外で待っていますから」。彼女は1人で、全く1人で、その墓の真ん前にじっと立っていらして、長く長くいらっしゃるのです。一方、外で待っていたご家族は、おばあさまがなかなか出てきませんので、孫にあたる若い男性が「ちょっと呼んできますよ」と言って、後ろから入って近寄りました。「おばあちゃま、もう遅いから帰りましょうよ」と言おうと思った時、そのおばあさまの声が彼の耳に入り、彼の方が感動のあまりに目が真っ赤になったそうです。


9/21(日)10:00- 年間第25主日

 非常に単純な言葉ですが、美しいと思います。そのおばあさまは誰も聞いてないと思って、静かな声で同じ言葉を何回も何回も繰り返していたのです。「ありがとう、ありがとう・・・」。そればっかりです。きれいですね。「ごめんね」という意味も含む「ありがとう」という言葉は、多分、旦那様が生きていらした時には照れくさくてあまり口に出さなかったのかもしれません。むしろ奥様らしく、「だらしない、また遅刻、まったくもう」というような不満の言葉を繰り返していらしたかもしれませんが、しかしその言葉より深いところにあった気持ちは感謝の気持ちでした。喧嘩していた時にも感謝の気持ちで、そしてその気持ちが旦那様にもきれいに伝わりましたし、旦那さんにもその気持ちは十分ありましたので、素晴らしい夫婦だったのです。そしてもう恥ずかしくない時に、60年以上にわたっていつも心の底に溜まっていた気持ちが自ずと溢れ出て、「ありがとう、ありがとう」と繰り返しておられたのです。


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