トップページ おしらせ ミサライブ配信とお説教2026年3月の説教

2026年3月 ミサ説教

2026年1月


四旬節第2主日

髙祖 敏明 神父

3/1(日)10:00- 四旬節第2主日


 今、3つの聖書の朗読を一緒に聞きました。第一朗読のアブラハムへの祝福が福音書のイエス様のお姿が変わるということで、こういう形の祝福になるんですよという、第一朗読と福音とを読み合わせるような、そういう組み合わせになっているかと思います。先ほど唱えました集会祈願「聖なる父よ、あなたは『愛する子に聞け』とお命じになりました。みことばによって私たちを養ってください。信仰の目が清められてあなたの顔を仰ぎ見ることができますように」という祈りですので、今日このみことばを味わうということを試みてみたいと思います。


3/1(日)10:00- 四旬節第2主日 司式の髙祖神父

 第二朗読のテモテへの手紙ですけれども、その中に「神がわたしたちを救い、聖なる招きによって呼び出してくだったのは、わたしたちの行いによるのではない」。自分が何かいいことをしたから神様がこういう恵みをくださっているのではない、神ご自身の計画と恵みによるのです。ご計画も恵みも神ご自身から賜るものだと。その神ご自身の計画と恵みは何ですか。「永遠の昔にキリスト・イエスにおいてわたしたちのために与えられ、今や、わたしたちの救い主キリスト・イエスの出現によって明らかにされた」。どういうことかというと、最後に書いてありますように「キリストは死を滅ぼし、福音を通して不滅の命を現わしてくださった」。そこに神様の計画と恵みがある。ですからこのパウロの説明によりますと、救い主イエス・キリストの出現の前と後の2つの段階で神様の計画、恵みが実現しているというふうに読むことができます。


 では、イエス様が登場する前、今日はアブラハムのところに集中して第一朗読は書かれていますけれども、アブラハムが主の招きに応えて生まれ故郷、父の家を離れ、主の言葉に従って主が示される地に向けて旅立ったことから始まる。救いの歴史がそこから大きく動き始める。そして、アブラハムが神の民の先祖になるということ。主の計画としては「わたしは主である。わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し…祝福の源となるようにする。地上の氏族はすべて、あなたによって祝福に入る」。皆様のお手元の聖書と典礼には、「アブラハムとその子孫を選んだ神の救いの計画の目的はすべての人に祝福をもたらすこと」だという説明が書かれています。アブラハムのこの選びは、そういう神様の計画が大きく動き始めたということを私たちに伝えています。


 でも、アブラハム以降のイスラエルの歴史を見てみますと、大いなる国民にする、祝福を与えるという意味内容をどう捉えていたか、3つの点から説明できるかと思います。1つは、血のつながった子孫が増え、それが選ばれた民となり、大いなる国民へと育ち繁栄するということ。2つ目は、主が示される乳と蜜の流れる約束の地を得て、国として発展し繁栄すること。具体的な場所を持ってそこが発展の根拠地になるということ。3つ目、今日のところに出てきませんけれども、割礼を受け律法を授けられた選ばれた民になっていく。その選ばれた民を通して、他の民・異邦人が神の祝福に与るということ。ただ、イスラエルの歴史、旧約聖書を読んでみますと、自分たちは選ばれた民だというこの選民意識が強くなりすぎたこともあって、異邦人、割礼を受けていない民、律法を知らない民は哀れな奴だという、そういう言葉で差別するようなことが旧約聖書の中ではたびたび出てきますし、福音書の中でもそういう選民意識と異邦人差別というか、これを読み取ることができます。


3/1(日)10:00- 四旬節第2主日 祭壇で葡萄酒をささげる髙祖神父

 今日の福音で読まれた主イエスのご変容は、そういうものを完成させる姿を描いています。「モーセは律法を、エリヤは預言者を代表し、『律法と預言者』で旧約聖書全体を表す」と聖書と典礼に書いてありますし、主のご変容は、十字架を通って栄光に至るイエスの道に弟子たちを招くもの。ですから、祝福ということは、十字架を通って栄光に至るイエスの道、そこに弟子たちを招いていくことだというふうに見ることができます。


 では、アブラハムと一体これはどう関係しているんですか。主イエスが復活した後、聖霊降臨がありました。その後、使徒行録によればペトロが説教していますけども、その中でペトロがこういうふうに説明しています。「あなた方(イスラエルの民)は預言者の子孫であり、神があなた方の先祖と結ばれた契約の子です。『地上のすべての民族は、あなたから生まれる者によって祝福を受ける』と、神はアブラハムに言われた。それで神はご自分の僕、血のつながりになって流れてくるイエスを立て、まずあなた方のもとに遣わしてくださった。 それはあなた方一人ひとりを悪から離れさせ、その祝福に与らせるためでありました」というふうにペトロが説教しています。


 実際に新約のメッセージの基本といいますか、土台になっていることは、地上のすべての民がアブラハムを通して祝福されるという約束、希望は、アブラハムの子孫イエス・キリストをもって実現されたというのがこの新約のメッセージですし、福音はそれを私たちに告げています。ペトロはそれを受けて私たちに説教をしているわけです。


 では、救い主キリスト・イエスが出現した後の時代、先ほどの祝福の意味がどのように変わり深められたのでしょうか。1点目の「血のつながり」ということに対しては、水と聖霊による洗礼によって新しく生まれ、神のみ旨を行う兄弟姉妹、血のつながりを超えて、水と聖霊による洗礼を受けること、そして神のみ旨に従って生きていこうという、それがイエスにとっての兄弟姉妹であり仲間なんだ。それが祝福を受ける大事な要素になっている。


 2つ目の「選ばれた民、約束の地を得て国として発展し、繁栄する」ということに対しては、私たちはこの世のどこかで生まれていきます。しかし、この世に生まれた人間が場所だとか時間を超えた神の国、父と子と聖霊の交わりであるこの新しい命である神の国に入っていくということ。この国のどこかの場所に限定されない、時間的にも限定を受けない、それを「永遠の」という言葉で言っていますけれども、新しい神様の命に与る仲間ができていく。


 3つ目、「割礼を受け、律法を授けられて選ばれた民」ということに対して、アブラハムの子孫イエス・キリストの救いのわざによって、人種や国籍の違い、性差や社会的身分に関係なく、万民・すべての人が神の祝福に与る道が開かれた。誰も排除されない、全ての人が招かれているというメッセージ。


3/1(日)10:00- 四旬節第2主日 ミサの前の風景

 その祝福に与るためには、イエス・キリストを救い主として認め、悔い改めて福音を信じること、そして洗礼を受けてキリストの死と復活の神秘に与ること、それが求められていますけれども、それは義務というよりも招きです。それに応えるか応えないかはその人たちの自由に神様は任せておられます。しかし、そういうことを思いながら、今日の福音で言われたご変容の時に天から声が聞こえた。「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」というこの言葉が、今ずっと私が話してきたことから言うと、だからこそ「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者、これに聞け」というふうにおっしゃっているんだなということが分かるように思います。


 信仰の目が清められて、神様の顔、父の顔を仰ぎ見ることができるよう、今日のこのみことばによって私たちも養っていただきましょう。みことばとご聖体によって養っていただくというのが、このミサの大きな私たちへの恵みになっています。みことばに養っていただきながら、その味わいをもってパンとぶどう酒の感謝の祭儀に移りたいと思います。


献血にご協力をありがとうございました


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