トップページ おしらせ ミサライブ配信とお説教2026年3月の説教

2026年3月 ミサ説教

2026年1月


四旬節第3主日

柴田 潔 神父

3/8(日)10:00- 四旬節第3主日 子どもとともにささげるミサ


3/8(日)10:00- 四旬節第3主日 司式の柴田神父のお説教

 教会学校のお友達は、井戸って知ってますか?知ってる?井戸は地面を深いところまで掘って、底の方にお水が湧き出るところです。


 今日読まれた聖書の井戸は、ヤコブが一番かわいがっていたヨセフに与えた、とても有名な井戸です。イエス様はサマリアの熱い中をてくてく歩いて、喉がカラカラになっていました。みんなは喉が渇くと何が欲しいですか?そう、水ね。水が欲しくなりますね。サマリアの女の人もね、水を汲みに来ました。その女性は心も渇いていました。心が渇くってわかる?どういう時に心が渇くかな。リーダーだったら、失恋した時とか心が渇くかもしれないね。みんなはどうだろうね。お友達と喧嘩した時、お母さんに叱られた時かな。欲しいものがもらえなかった時かな。この女性はね、お家の人と喧嘩をして心が渇いていました。じゃあ、心が渇いた時にどうしたら「命の水」をいただけるか。今日はね、その話をしています。


 まず、そのためのヒント。これ知ってますか?どこにありますか?そうね、聖堂に入るところにありますね。聖水盤って言います。聖堂に入る時に、この上の方のお水にちょんと指を浸して、「父と子と聖霊のみ名によって」と言って聖堂に入っている方はどれくらいいますか?大人の皆さんも含めて。ああ、割と少ないですね。これからはね、この聖水盤でちょっと水をつけてからお御堂に入りましょう。そうすると心が整えられるんです。「これから神様とお話しします。神様に感謝します」とか、「今、ちょっと辛いんです」とか。そういう神様とお話しをする時の準備です。この聖水というのは、神父様が特別にお祈りをして、祝別して聖水になるんだけれども、このお水を額にかけてもらう時があります。「父と子と聖霊のみ名によって」3回、額にかけてもらう時があります。それは何の時でしょうか。そう、洗礼の時ね。その洗礼の時を思い出すためにも、この聖水を指でつけて「父と子と聖霊のみ名によって」とお祈りをします。


3/8(日)10:00- 四旬節第3主日 朗読台のリーダーとこどもの侍者

 じゃあ、この聖水盤で「父と子と聖霊のみ名によって」とお祈りしたら「命の水」がいただけるかというと、やっぱりね、もう少しやることがあります。復活祭に洗礼を受ける小学2年生のお友達に「どうして洗礼を受けたいの?」と聞いてみました。少し考えてから、「いつも神様が一緒にいてくださると分かったから」と言われました。「神様がいつも一緒だから大丈夫。安心」というのも「命の水」なんだね。昔、アウグスティヌスという偉い神学者がこうお話ししていました。「人間は神様に出会わないと心が渇いたままです。神様と出会って幸せになれるように人間はつくられています」。神様と出会ってお話しをして、「命の水」を私たちはいただきます。女の子はそのことに気づいて、洗礼を受けたいという気持ちになりました。


 では、大人の私たちはどんな時に心が渇くでしょうか。株が下がったとか、そういう時でしょうかね。そういう時かもしれませんけれども、もうちょっと生きる根源と言いますか、深いところで「どうして人間は生きているのか」「人生これでいいんだろうか」、そういう不安があった時、心が渇いてきます。そんな時にペットボトルの水をごくごく飲んだら心の渇きが癒されますか?癒されませんね。お水を飲んでも、お酒を飲んでも渇きが癒されません。 神父さんの場合は、「主よ、憐れみたまえ」「キリスト、憐れみみたまえ」というお祈りを何回も何回も繰り返します。「イエスのみ名を唱える祈り」って言うんだけれども、昨日発刊されたマジスの3月号に「聖年とみことば」のシリーズがあります。この6番目に神父さんのお話が載っています。絶えず祈るにはどうしたらいいか、というお話なんだけれども、「主よ、憐みたまえ」「キリスト、憐れみたまえ」と、お仕事をしている時も、ベッドに入っている時も繰り返し繰り返し唱えているうちに、神父さんも弱いなとか、あれもできてないなとか、自信がなくなった神父さんをイエス様は助けてくださいます。


3/8(日)10:00- 四旬節第3主日 祈りをささげる柴田神父と会衆席のこどもたち

 「命の水」。みんなは「命の水」をもらっている?なかなかね、どこでもらうのか難しいんだけれども、聖堂に入る時に聖水盤に「父と子と聖霊のみ名によって」とお祈りして、まず聖堂に入って心静かにして神様に感謝する。そして「主よ、憐れみたまえ」「キリスト、憐れみたまえ」そういうお祈りをする。すると「命の水」がみんなの心の中に湧き出てきます。それは一人だけではなくて、今ね、600人、700人の人たちがお祈りしているけれども、一人ひとりがお祈りすると、教会全体の中でも「命の水」が湧き出てきます。そんな気持ちでね、これからミサに来てほしいし、みんなそれぞれ「命の水」をいただいていきましょう。


四旬節第2主日

髙祖 敏明 神父

3/1(日)10:00- 四旬節第2主日


 今、3つの聖書の朗読を一緒に聞きました。第一朗読のアブラハムへの祝福が福音書のイエス様のお姿が変わるということで、こういう形の祝福になるんですよという、第一朗読と福音とを読み合わせるような、そういう組み合わせになっているかと思います。先ほど唱えました集会祈願「聖なる父よ、あなたは『愛する子に聞け』とお命じになりました。みことばによって私たちを養ってください。信仰の目が清められてあなたの顔を仰ぎ見ることができますように」という祈りですので、今日このみことばを味わうということを試みてみたいと思います。


3/1(日)10:00- 四旬節第2主日 司式の髙祖神父

 第二朗読のテモテへの手紙ですけれども、その中に「神がわたしたちを救い、聖なる招きによって呼び出してくだったのは、わたしたちの行いによるのではない」。自分が何かいいことをしたから神様がこういう恵みをくださっているのではない、神ご自身の計画と恵みによるのです。ご計画も恵みも神ご自身から賜るものだと。その神ご自身の計画と恵みは何ですか。「永遠の昔にキリスト・イエスにおいてわたしたちのために与えられ、今や、わたしたちの救い主キリスト・イエスの出現によって明らかにされた」。どういうことかというと、最後に書いてありますように「キリストは死を滅ぼし、福音を通して不滅の命を現わしてくださった」。そこに神様の計画と恵みがある。ですからこのパウロの説明によりますと、救い主イエス・キリストの出現の前と後の2つの段階で神様の計画、恵みが実現しているというふうに読むことができます。


 では、イエス様が登場する前、今日はアブラハムのところに集中して第一朗読は書かれていますけれども、アブラハムが主の招きに応えて生まれ故郷、父の家を離れ、主の言葉に従って主が示される地に向けて旅立ったことから始まる。救いの歴史がそこから大きく動き始める。そして、アブラハムが神の民の先祖になるということ。主の計画としては「わたしは主である。わたしはあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し…祝福の源となるようにする。地上の氏族はすべて、あなたによって祝福に入る」。皆様のお手元の聖書と典礼には、「アブラハムとその子孫を選んだ神の救いの計画の目的はすべての人に祝福をもたらすこと」だという説明が書かれています。アブラハムのこの選びは、そういう神様の計画が大きく動き始めたということを私たちに伝えています。


 でも、アブラハム以降のイスラエルの歴史を見てみますと、大いなる国民にする、祝福を与えるという意味内容をどう捉えていたか、3つの点から説明できるかと思います。1つは、血のつながった子孫が増え、それが選ばれた民となり、大いなる国民へと育ち繁栄するということ。2つ目は、主が示される乳と蜜の流れる約束の地を得て、国として発展し繁栄すること。具体的な場所を持ってそこが発展の根拠地になるということ。3つ目、今日のところに出てきませんけれども、割礼を受け律法を授けられた選ばれた民になっていく。その選ばれた民を通して、他の民・異邦人が神の祝福に与るということ。ただ、イスラエルの歴史、旧約聖書を読んでみますと、自分たちは選ばれた民だというこの選民意識が強くなりすぎたこともあって、異邦人、割礼を受けていない民、律法を知らない民は哀れな奴だという、そういう言葉で差別するようなことが旧約聖書の中ではたびたび出てきますし、福音書の中でもそういう選民意識と異邦人差別というか、これを読み取ることができます。


3/1(日)10:00- 四旬節第2主日 祭壇で葡萄酒をささげる髙祖神父

 今日の福音で読まれた主イエスのご変容は、そういうものを完成させる姿を描いています。「モーセは律法を、エリヤは預言者を代表し、『律法と預言者』で旧約聖書全体を表す」と聖書と典礼に書いてありますし、主のご変容は、十字架を通って栄光に至るイエスの道に弟子たちを招くもの。ですから、祝福ということは、十字架を通って栄光に至るイエスの道、そこに弟子たちを招いていくことだというふうに見ることができます。


 では、アブラハムと一体これはどう関係しているんですか。主イエスが復活した後、聖霊降臨がありました。その後、使徒行録によればペトロが説教していますけども、その中でペトロがこういうふうに説明しています。「あなた方(イスラエルの民)は預言者の子孫であり、神があなた方の先祖と結ばれた契約の子です。『地上のすべての民族は、あなたから生まれる者によって祝福を受ける』と、神はアブラハムに言われた。それで神はご自分の僕、血のつながりになって流れてくるイエスを立て、まずあなた方のもとに遣わしてくださった。 それはあなた方一人ひとりを悪から離れさせ、その祝福に与らせるためでありました」というふうにペトロが説教しています。


 実際に新約のメッセージの基本といいますか、土台になっていることは、地上のすべての民がアブラハムを通して祝福されるという約束、希望は、アブラハムの子孫イエス・キリストをもって実現されたというのがこの新約のメッセージですし、福音はそれを私たちに告げています。ペトロはそれを受けて私たちに説教をしているわけです。


 では、救い主キリスト・イエスが出現した後の時代、先ほどの祝福の意味がどのように変わり深められたのでしょうか。1点目の「血のつながり」ということに対しては、水と聖霊による洗礼によって新しく生まれ、神のみ旨を行う兄弟姉妹、血のつながりを超えて、水と聖霊による洗礼を受けること、そして神のみ旨に従って生きていこうという、それがイエスにとっての兄弟姉妹であり仲間なんだ。それが祝福を受ける大事な要素になっている。


 2つ目の「選ばれた民、約束の地を得て国として発展し、繁栄する」ということに対しては、私たちはこの世のどこかで生まれていきます。しかし、この世に生まれた人間が場所だとか時間を超えた神の国、父と子と聖霊の交わりであるこの新しい命である神の国に入っていくということ。この国のどこかの場所に限定されない、時間的にも限定を受けない、それを「永遠の」という言葉で言っていますけれども、新しい神様の命に与る仲間ができていく。


 3つ目、「割礼を受け、律法を授けられて選ばれた民」ということに対して、アブラハムの子孫イエス・キリストの救いのわざによって、人種や国籍の違い、性差や社会的身分に関係なく、万民・すべての人が神の祝福に与る道が開かれた。誰も排除されない、全ての人が招かれているというメッセージ。


3/1(日)10:00- 四旬節第2主日 ミサの前の風景

 その祝福に与るためには、イエス・キリストを救い主として認め、悔い改めて福音を信じること、そして洗礼を受けてキリストの死と復活の神秘に与ること、それが求められていますけれども、それは義務というよりも招きです。それに応えるか応えないかはその人たちの自由に神様は任せておられます。しかし、そういうことを思いながら、今日の福音で言われたご変容の時に天から声が聞こえた。「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」というこの言葉が、今ずっと私が話してきたことから言うと、だからこそ「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者、これに聞け」というふうにおっしゃっているんだなということが分かるように思います。


 信仰の目が清められて、神様の顔、父の顔を仰ぎ見ることができるよう、今日のこのみことばによって私たちも養っていただきましょう。みことばとご聖体によって養っていただくというのが、このミサの大きな私たちへの恵みになっています。みことばに養っていただきながら、その味わいをもってパンとぶどう酒の感謝の祭儀に移りたいと思います。


献血にご協力をありがとうございました


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