2026年5月 ミサ説教
5/3(日)10:00- 復活節第5主日 ハビエル・ガラルダ 神父
5/10(日)10:00- 復活節第6主日 ボニー・ジェームス 神父
復活節第6主日 子どもとともにささげるミサ
ボニー・ジェームス 神父
5/10(日)10:00- 復活節第6主日
皆さん、5月になりました。5月というと、まずマリア様の月です。マリア様を通して特別にお祈りする時ですね。それから5月は、復活祭が終わって、今度は聖霊降臨という聖霊をいただくその恵みを感じる時でもありますね。聖霊降臨に向かって私たちは心の準備をしていきます。
ところが聖霊ということを皆さん聞いたことがありますか?もちろんありますね。今日の聖書と典礼、これを持っている人は見てください。この今日の聖書と典礼、福音のテーマは「聖霊と共に」となっています。今日のいろんな祈りの中に聖霊の話が出てきます。そして先ほど読まれた聖書の中でも、何回も聖霊の話が出ていました。なので、今日は少し聖霊の話をしようと思っています。
聖霊、聖なる霊とも言いますけれども、聖霊というのはなかなかわからないですね。「父と子と聖霊」っていつも言いますけれども、聖霊のことはなんとなくわからないですね。少し今日はそれについて説明したいと思います。聖霊のことは「神の愛」というふうに聖書には書いてあります。神の愛であると。皆さん、誰かに愛されていると思う人、手を挙げてください。はい、ありがとうございます。たくさんの人が愛されているんですね。お父さん、お母さん、あるいはリーダー、いろんな人に愛されている。
では、愛していると思う人はいますか?愛されているよりも愛している人の方が多いですね。ありがとうございます。愛されている人と愛する人もいますけど、愛そのものを見たことがある人は?隣に座っている愛ちゃんのことじゃないですよ。愛そのものを見たことのある人、いますか?なかなか難しいね。でも、確かに愛というものがありますね。でも見えない。私も見たことはないです。でも、愛の結果は見ることができます。愛の実、愛の実りを見ることができます。例えば、お父さんお母さんは子どもを愛するから、いろんなことを面倒見たりとかしているわけなんですよね。家族同士、愛しているからお互いにつながっていくわけなんですね。
聖霊のことも、愛のようなものであるというふうに言うことができます。見ることができないんですけれども、確かに存在しています。それが神の愛、聖霊というふうに言いますね。全部、全くわからなくてもいいですよ。愛というものがある、そして聖霊というものが神の愛であるということを分かっていればそれで十分です。
聖霊というのは愛であるという話なんですけれども、聖霊は神の愛ということなんですね。この他にも聖霊の実りを私たちは感じる時があります。見ることができないんですけれども、それを感じる時があります。例えばなんですけれども、聖霊の実ですね。愛だけじゃなくて、いくつかあります。全部で12ぐらいあると言っています。聖書の中のガラテア人への手紙に出てきますけれども、例えばもう1つ、親切であるということ。これも具体的に見ることができないんですよね。人に対して親切であるということ、それはその行動から分かるということなんですよね。
もう1つ、例えば忍耐力。それも見ることができない。でも、確かにあります。人に対して私たちは忍耐力を持って関わるとか、そういうふうに言いますね。それからもう1つ、平和ですね。平和というものもなかなか触れることができないんですね。でも、平和という概念があって、平和があって、私たちは平和的に暮らしているわけですね。
逆に言うと、平和の逆は戦争とか争いとか、そういうことなんですね。平和というのは聖霊の実、実りです。逆に、戦争とか争いとか、そういったものはどこから来るでしょう。聖霊は良い霊なんですよね。その反対の戦争とか争いとか、そういったものは悪霊から来ます。だから悪霊という話もある程度分かりやすくなると思います。神様は人間の平和を求めます。なので、聖霊から来るこの聖霊の実、実りなんですね。それが他にもたくさん、12ぐらいあります。後でもし時間がある時、ガラテア人への手紙5章をちょっと見ていただければと思います。
そのようにして聖霊という話なんですけれども、私たちが見ないうちに働いてくださっている。それが聖霊なんですね。なので、そういう聖霊の実りの中で、私たち一人ひとりが生きているということを心に留めておきましょう。もちろん聖霊というのは100%分かりきれないですね。それは神秘と言いまして、分からないところがあります。でも、聖霊の結果、実りというものがあるということが分かっていればそれで十分だと思います。
私たちはみんな、聖霊の導きによって生かされている。お父さん、お母さんが愛してくださっているように、神様が私たち一人ひとりを愛してくださっている。そして私たちを救ってくださり、私たちを導いてくださり、私たちを養ってくださっている。だから、それが聖霊の働きであるというふうに心に留めていただければと思います。
今日はこの話はここで終わりたいと思いますが、聖霊のこの導きを願いながら、ある祈りを動画の形で皆さんに流したいと思います。なので、この聖霊の実、聖霊の実り、それを私たちは感じるように、ある動画をこれから流します。この歌は祈りの形です。本当に「聖霊、私たちを導いてください」と静かにこの場所で言って、「神様、私たちの中に来てください。私たちを導いてください」と心を込めてお祈りする。そのような歌です。神様に、本当にこの祈りの心を持って、この歌を聴きましょう。
聖霊(風)来てください (イエスのカリタス修道女会 スモールクワイア)
復活節第5主日
ハビエル・ガラルダ 神父
「わたしは道であり、真理であり、命である」という言葉についてご一緒に考えてみたいと思います。これについていろいろな説明がありますが、私に一番ピンとくる、納得できるのは次のようなことです。この3つの言葉の中心は、間違いなく「道」です。道は中心、父に行く道。あとの2つの言葉は道の特徴だと思います。
では、道とは何かと言いますと、ごく簡単に言えば生き方です。生き方、それは道です。そしてその生き方の特徴は3つある。1つは真理に満ちています。その生き方、真理というのは誠実。真に満ちる道です。それから命。永遠の命は愛ですね。イエス・キリストの言葉で言えば、永遠の命は宴会、夕食会みたいです。そこでみんな話し合って、分かち合って、仲良く、親と一緒に、神と一緒にいられる、愛し合っている場。それは永遠の命。ですから命であるというのは、愛に満ちる生き方です。繰り返してみますと、道は生き方です。2つの形容詞、誠実に満ちる生き方、そして愛に満ちる生き方です。
もう1つ付け加えます。もう1つの特徴。イエス・キリストは道であると同時に、その道を一緒に歩いてくださる友達です。これはキリスト教の素晴らしい特徴だと思います。すべての宗教には道があるんですね。でも、私たちが信じるのは、イエス・キリストであるその道を、イエス・キリストと共に歩いている。これは大船に乗った気持ちになります。
一番難しいことはこれです。道は生き方、つまりキリストの生き方のように、キリストのように生きるはずです。これは難しい。私は人間です。イエス・キリストは神様ですよ。私は弱い人間で、イエス・キリストは立派で強い方でした。合わない。キリストの生き方と私の状態には合わない。しかも今の日本と昔のパレスチナの状況は合わないんです。だから、キリストのように生きるということはあまりピンとこないんです。
どうすればいいでしょうか。提案を申し上げます。こうすればいいのではないかと思います。イエス・キリストを心に入れ込むこと、イエス・キリストを本気で愛すること、友達にすること。よく話し合って、よく聞いて、よくコメントして、そして一緒にいてくださいと、よく願う。イエス・キリスト自身も愛して心に入れ込む。それから、イエス・キリストの根本的な言葉を心に入れ込む。「愛し合いなさい」という根本的な掟ですね。愛し合いなさいということをよく黙想して、祈って、心に深く入れ込むこと。それから、イエス・キリストの生きる根本的な姿勢。親切で、人のためにいいことをする方です。命を捨てるまで人を大切にする方です。これも心に入れ込むんです。
もう1つあります。各々の人はご自分で、キリストの一番好きなところを心に入れ込むんです。ありますね。私に一番好きなところはこれ、それをもっと深く心に入れ込むんです。ですからイエス・キリスト自身、イエス・キリストの言葉、イエス・キリストの生き方を深く心に入れ込んで、それから自然に生きることにしましょう。自然に生きる。キリストが話してくださる。キリストが行ってくださる。キリストが人を赦してくださる。キリストは平和のために祈ってくださる。それはキリストのように生きることになります。
では、旅の道の友なるイエスと共に、イエスのように歩き続ける恵みを願い求めましょう。ただし、「キリストについていきます」というよりも、「主よ、連れて行ってください」と願いながら、謙遜に、ご一緒にキリストと共に歩き続けましょう。